経理部の松田です。
前回の京都旅の続きです。
春の京都夜桜と歴史の輝きを満喫した1日となりました。
南禅寺を後にして、蹴上インクラインへ向かいます。
その前に少し寄り道をして、南禅寺近くの白河通り沿いにある「不明門(あけずのもん)」を見てきました。
とても美しい門です。
この門は、旧伏見城から移築された城門です。
名前の通り、今も昔も一度も扉が開けられたことはないそう。
歩くのも楽しいものです。
蹴上インクラインを散策。
蹴上インクラインは、琵琶湖疎水の歴史的遺構であり、船を運搬するために明治時代に作られた傾斜鉄道の跡地です。
線路を埋め尽くすようにソメイヨシノが立ち並び、桜のトンネルの壮大な景観が広がっていました。
たくさんの花見客で、正直、お花見どころではない混雑。散策するにも撮影するにも苦労しました。
今朝、京都に着いた時には、すでに蹴上インクライン周辺には沢山の観光客が歩いていたので、出遅れた感はありました。
離れて撮るのが良さそうです。
蹴上インクラインを出発し、三条通りへ。
佛光寺本廟に寄りました。
ここには親鸞聖人の御真骨が納められている御霊屋があります。
親鸞聖人は浄土真宗の開祖です。
若い頃に仏教に深く帰依し、比叡山や各地の寺院で修行を積みました。その後、法然上人の教えに触れ、
浄土宗の教えを深く学びました。
しかし、
佐渡へ流されてしまいます。4年後、流罪が解かれ、京都へ帰還。翌年に山科に草庵を開いたことが佛光寺のはじまりと伝えられています。
三条通りには、伝統的な町家やチョコレート店、カフェなどが軒を連ねていました。
京都の古い家並みの中を流れる白川筋へ。
川沿いに柳の木が立ち並び、京都の風情を感じることができる場所でした。
ここ白川筋付近には、戦国時代の名将・明智光秀の塚があります。
和菓子屋の角を曲がり、民家に囲まれた細い路地を少し進むと、ひっそりと小さな祠と石塔がありました。
明智光秀は、主君織田信長を本能寺で討ち取ったのち、山崎の戦いで羽柴秀吉に敗れ、近江の坂本城へ逃れる途中、
伏見区の小栗栖の竹薮で農民に襲われて重傷を負い、自害して家臣に首を打たせたといわれています。
光秀の首は、粟田口で数日晒されたあと、この地に埋められたと伝えられているのです。
祠の中には光秀の木像が納められていました。
五重石塔の下に光秀の首が埋められているそうです。
歴史の闇に包まれた明智光秀の最期を想像させる場所です。
この場所に立つと、光秀の人生や動機、そして本能寺の変の真実について思いを巡らせずにはいられず、
歴史の重みを感じました。
ただ、有名な戦国武将の塚としてはあまりにも簡素で目立たない場所にあったのが悲しいです。
白川沿いに戻り、知恩院あたりまで歩いてくると白川に架かる細い「一本橋」が見えてきました。
幅30㎝程の細い橋です。
渡ってみましたよ!
近くには昭和レトロな古川町商店街がありました。
商店街を少し覗いて、途中で引き返してきたのですが、京都の台所事情も気になるところです。
##4. 知恩院
知恩院古門をくぐり、坂を上がって行きます。
ここは武将・酒井忠次のお墓がある先求院。徳川家康の父・松平広忠に仕え、広忠の死後は家康に仕えていました。
石柱のみ撮影。
知恩院黒門の向かいにある良正院。徳川家康の次女・督姫の菩提寺です。
良正院の本堂と表門は国指定重要文化財です。
知恩院黒門が絵になりますね。
黒門から三門に向かって歩いていると、
「本願寺発祥の地・蓮如上人御生誕の地・親鸞聖人旧御廟所・元大谷崇泰院」と書かれた青字の石碑がありました。
ここは親鸞聖人の末娘が文永9年(1272)に父の遺骨を安置するための御廟堂を建立した場所だそうです。
門の横には、蓮如上人御生誕地を標した石柱が立っています。
蓮如上人は浄土真宗8代目の法主です。親鸞聖人の教えを日本中に広く伝えられました。
また「大谷本願寺故地」の石碑も建っていました。
徳川2代将軍秀忠によって建立された知恩院の三門。
国内最大級の木造二重門で、国宝に指定されています。圧倒される大きさです。
知恩院は浄土宗の総本山。承安5年(1175)に法然上人によって創建されました。
今日は17時45分から行われる夜間のライトアップに入場します。
開門まで時間があるので、三門の正面にあるお土産屋・三門亭でお土産を物色。
色々と試食をさせていただきました。
店員さん曰く、「今年のライトアップはとても綺麗だよ」と。期待が高まります。
拝観料800円を支払って入場。
入場は三門からではなく、庭園の友禅苑から入場しました。
国宝の御影堂です。
御影堂の真正面にある宝佛殿。
御影堂では住職のお話が行われており、その後に木魚念仏体験がありました。
御影堂を出る際には、「三方正面真向の猫」をモチーフにした缶バッジが参加者全員に配られました。
「三方正面真向の猫」は方丈の廊下にある杉戸に描かれた狩野信政筆の猫の絵です。
どこから見ても見る人の方を正面からにらんでいるように見え、親猫が子猫を慈しむ様子が表現されています。
いつでもどこでも見守って下さっている仏様の慈悲をあらわしているんですって。
御影堂から外に出た頃には、すっかり日も暮れて、荘厳な伽藍が幻想的に照らされ、まるで別世界のようになっていました。
灯りに照らされた木々や石畳が幻想的な雰囲気を醸し出します。
ライトアップされた桜の木々は、まるで夢の中にいるかのような美しさです。
境内ではプロジェクションマッピングも行われており、三門の扉や石段に映し出される美しい映像はまるで光の芸術。
桜の花びらが舞い散る様子が幻想的に浮かび上がり、心が洗われるようでした。
何と言っても圧巻だったのは、国宝・三門のライトアップ。
高さ24メートルの壮大な門が、柔らかな光に包まれ、その威容を一層引き立てていました。
写真を撮る手も止まらず、思わず見入ってしまう美しさでした。
歴史の重みと祈りの空気を感じながら、しばらくその場に佇んでいました。
忘れられない思い出になりそうです。
お次は円山公園に足を運びました。
円山公園は京都市内でも屈指の桜の名所です。
満開の枝垂れ桜がライトアップされ、その幻想的な美しさに心を奪われました。
多くの花見客が訪れており、公園は非常に賑やか。
屋台がずらりと並び、焼き鳥やたこ焼き、甘いお菓子の香りが漂っていました。
あちこちで笑い声や会話が絶えず、静かな夜桜を楽しむ感じではなかったのは残念ですが…
##5. 八坂神社
円山公園を散策後は、八坂神社へ。
八坂神社は平安京遷都以前からある古い神社。本殿は2020年に国宝に指定されたばかりです。
舞殿の提灯のやわらかな灯りが、境内を優しく照らしています。
本殿の正面にある南楼門が八坂神社の正門になります。
私はてっきり四条通りに面した門が正門だと思ってました。
あの時、間違えて南楼門から出てよかったな…と。 でないと、正門である南楼門を撮り忘れてしまうところでした。
鳥居も重要文化財で国内最古のものらしいです。
八坂神社の西楼門はあとで見に行くことにして、南楼門からは高台寺も近いので、ねねの道へと足を進めました。
先ほどの喧騒とは打って変わって、人もまばらで、まるで時がゆっくりと流れているかのような静寂な散策路。
石畳の道には、歴史を感じさせる趣のある建物や町家が立ち並び、情緒たっぷりの風景が広がっていました。
ねね様終焉の地である圓徳院の一角に、豊臣秀吉を天下人に導いた仏像「三面大黒天」が祀られています。
触れ仏の摩利支天。ねねの道には触れ仏がいくつかあるので探してみると楽しいかもしれません。
高台寺表門をパシャリ。
昨年空き地だった表門前が駐車場になっていました。
空き地の方が写真撮りやすかったし、風情があったんだけどな…
産寧坂にある八坂の塔も見に行ってみたのですが、真っ暗すぎて撮影不可能。
小路を抜けて東大路通へ。
再び八坂神社へやってきました。
四条通に面してあるのは西楼門。八坂神社最古の建造物です。
西楼門は応仁の乱により焼失し、明応6年(1497)に再建されました。
西楼門の両脇に安置されているのは、寺院の表門で見かける仁王像ではなく、平安時代の貴族の護衛役である「随身」です。
それにしても、西楼門前は人通りが絶えず、物凄い人。
皆さん夜桜を見に行かれるのでしょうか。
西楼門越しに四条通りを見ています。
西楼門前からの四条通りの様子。
時刻は21時。そろそろ帰ります。
東大路通を北へ少し歩くと、「よしもと祇園花月」がありました。
八坂神社から20分程歩いて、駐車場に戻ってきました。
1日よく歩きました。
今回の旅では、昼と夜の京都の魅力を存分に味わうことができました。
歴史的な建築と自然の美しさに心が癒され、歴史の足跡をたどることで、過去の偉人たちの思いや志を身近に
感じることができました。
京都は、桜だけでなく歴史的な場所も訪れることで、より一層深い魅力を味わうことができますね。
次回は、また違った角度から京都の歴史と文化を探求したいと思います。
これにて、京都旅はおしまいです。
おまけ
観光バスのラッピングデザインがかわいかった!
それでは、また次の旅の思い出をお届けします!