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【恵林寺訪問記】歴史と静寂に包まれた武田信玄の菩提寺 (2025.12.15)

経理部の松田です。

 

乾徳山登山の後、戦国最強と呼ばれた武将・武田信玄の菩提寺である「恵林寺(えりんじ)」を訪れました。

 

 

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恵林寺は山梨県甲州市塩山にあり、1330年(元徳2)に禅僧の夢窓国師こと夢窓疎石(むそうそせき)が開山した由緒あるお寺です。

夢窓国師は、鎌倉時代から室町時代にかけて活躍された高僧。

7度にわたり歴代天皇から国師号を賜与され、七朝帝師とも称されている偉大な方です。

 

 

恵林寺の駐車場からは先ほど登った乾徳山が見えました。

夢窓国師は乾徳山の山中で座禅修行を積んでいました。ちなみに恵林寺の山号は乾徳山です。

 

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境内に足を踏み入れると、登山の疲れも吹き飛ぶ、静かで荘厳な空間。

最初に目を引くのは、堂々と掲げられた武田菱の紋章。

この武田菱の紋は、恵林寺の本堂や門など、境内の各所に施されており、歴史の深さと武田家の栄華を感じることができました。

 

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武田信玄は、戦国時代の名将として知られていますが、信仰心も厚く、恵林寺を自らの菩提寺と定めました。

しかし信玄亡き後、武田氏は滅亡。恵林寺は織田信長に焼き討ちにされ焼失しますが、再び徳川家康によって再建されました。

 

 

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庫裡の中に入ると、ふと目に留まったのが「風林火山」の文字。

 

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武田信玄の旗印としても有名なこの言葉は、戦略の極意を表す言葉であり、武田信玄の深い思考と精神性を象徴していますよね。

現代を生きる私たちにも通じるメッセージが込められているようで、心が引き締まる思いです。

 

 

本堂内は撮影できませんが、ご本尊の釈迦如来が安置されていました。

 

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本堂の正面に見えるのが枯山水式の庭園です。

禅僧としての功績の他、作庭家としても名高い夢窓国師によって手掛けられました。

夢窓国師は京都の世界遺産にも登録されている天龍寺や西芳寺(苔寺)など、多くの名園を作庭されています。

 

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アーチ式の橋を渡ると明王殿。ここからは撮影禁止。

うぐいす廊下を歩いていくと、等身大の信玄の姿を摸刻させたという「武田不動尊」が安置されていました。

 

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本堂の裏側に広がる恵林寺庭園は夢窓国師が作庭したもの。国指定名勝です。

 

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この庭園を眺めながら、夢窓国師の遺した美意識や禅の精神を感じることができるのも、恵林寺の魅力ですね。

しばらくの間、時の流れを忘れて静寂と向き合いました。

 

 

境内を散策。

こちらは県の重要文化財に指定されている「三門」

 

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戦国時代の荒波の中、数多くの寺院や城が戦火に巻き込まれ、その歴史を刻んできました。

恵林寺も例外ではなく、恵林寺の象徴ともいえるこの三門は織田信長による焼き討ちを受けた悲劇の歴史を持っています。

 

 

三門には快川国師の遺偈が掲げられています。

 

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「安禅は必しも山水をもちいず、心頭滅却すれば火も自ら涼し」

炎上する三門楼上で快川国師が唱えた名言です。

 

1564年(永禄7)に武田信玄は快川国師を住職として迎え、恵林寺を自身の廟所と定めました。

快川国師は、信玄にとって参禅の師であり、心の平静と精神修養を深める上で重要な役割を果たした名僧でした。

 

戦国の動乱の中、53歳で亡くなった信玄。

遺言により3年間信玄の死を隠した後、嫡男武田勝頼のもと快川国師が大導師となって葬儀が行われました。

しかし1582年(天正10)3月、勝頼は時運を味方につけることができず天目山で自刃し、武田氏は滅亡。

同年4月3日、恵林寺は敵を密かにかくまい逃れさせたとして、織田信長による火攻めに遭い全山焼失しました。

その際、快川国師をはじめ、百人以上ともいわれる僧侶等が三門楼上で火に包まれました。

 

 

三門脇に供養塔がありました。快川国師を偲ぶ唯一の遺構です。

 

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同年6月3日に本能寺の変によって信長が討たれた後、徳川家康の手により恵林寺は復興され、

現在ではその歴史的価値とともに、武田信玄と快川国師の精神の象徴として、多くの参拝者が訪れています。

 

 

三門をくぐって正面に見えるのが開山堂。

 

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訪れた日は扉が閉まっていたので拝見できませんでしたが、夢窓疎石、快川紹喜、末宗瑞曷の三像が安置されています。

末宗瑞曷は快川国師の弟子。家康が末宗瑞曷を招き、恵林寺を再興させました。

 

 

三重塔。納骨堂のようです。

 

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燈籠の先に武田信玄公墓所があります。1573年4月12日に53歳で亡くなった信玄公はここに眠っています。

毎月12日に限り一般公開されるため、見ることができませんでした。

 

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歴史の舞台に名を刻んだ武田信玄公の墓所は、多くの人々にとって敬慕と崇敬の対象。

私もいつか、信玄公の墓所をこの目で見て、その歴史の重みを感じてみたいと願っています。

 

恵林寺には、信玄と同じく甲斐出身の柳沢吉保の墓所もあります。

江戸幕府5代将軍 徳川綱吉の側用人だった柳沢吉保は、政治・経済の発展に大きな役割を果たした人物です。

柳沢吉保は甲斐国主となった後、恵林寺を庇護し、その寺運を大きく発展させました。

 

 

最後に信玄公宝物館も見てきました。

信玄が使用していた武具甲冑や武田軍旗「孫子の旗」、武田氏の歴史を物語る貴重な資料も所蔵されていて、

歴史好きにはたまらないスポットでした。

 

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山登りで自然の偉大さを実感した後は、歴史の重みと静寂に包まれる恵林寺で心を整えるのも、また一興。

次回は、信玄ゆかりの地を巡りながら、その偉大な足跡をたどってみたいと思います。

 

なんだか、山梨の名物「ほうとう」が恋しくなってきました。

 

 

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