経理部の松田です。
桜が咲く季節に京都へ行ってきました。
ただでさえ観光客が多い京都。お花見シーズンともなればさらに観光客でごった返しそうだから、
こんな時にわざわざ行かなくてもと思ったのですが、
桜の季節だからこそ桜と一緒に見ておいたほうがよいのではないかとも思い、出かけてきた次第です。
登山をするようになってからは、京都へはまったく行く機会がありませんでしたが、
久しぶりに古都京都の歴史に触れるとともに京都観光の現状も垣間見える旅となりました。
今回は車での日帰りなので、京都東山区にある戦国武将・豊臣秀吉ゆかりの地と国宝の寺院めぐりをしてきました。
京都東ICで高速を降り、国道1号線へ。
渋滞ぎみの山科区を通り過ぎ、トンネルを抜けたら左折。
細い路地を通って最初に訪れたのは豊国廟です。
豊国廟内の駐車場に1日駐車し、ここを起点に東山区を歩いて見て廻ってきました。
戦乱の時代に天下統一を成し遂げた豊臣秀吉のお墓は阿弥陀ヶ峰山頂にあります。
慶長3年(1598年)豊臣秀吉は伏見城において63歳で生涯を閉じ、秀吉の遺言によって京都東山の阿弥陀ヶ峰山頂に
埋葬されました。
しかし豊臣家が滅亡すると、徳川家康によりお墓も豊国社も全て取り壊されてしまい、再興されたのは明治時代になって
からのことです。
拝殿の先にある長い階段。
社務所で登拝料を納めて登ります。社務所の人によると往復30分かかるらしい。
石段は489段あり、見上げるとなかなか心が折れるレベル。
気合を入れて登るも1分で疲れてしまいました…
中腹の門に到達。豊臣家の家紋入りの立派な門です。
門の奥にはさらに壁のように階段が立ちはだかり、げんなり。
ようやくたどりつきました。
高さ約10メートルの石造五輪塔が建てられており、ここに天下人となった秀吉が眠っています。
お墓の前の桜の花は満開でした。
社務所の人が教えてくれた穴場スポットへ。
お墓を左手に進むと、木々の間から清水寺を俯瞰して見ることが出来ました。
こんな角度から清水寺を望めるなんて驚きです。
写真では分かりにくいですが、京都御所も見渡せます。秀吉はいつの日もここから京都の街を見渡しているんですね。
来た道を見返すと遥か下に門が。膝がおかしくなりそう…
拝殿の左側には、秀吉の側室「松の丸」と秀吉の孫「国松」のお墓がありました。
一緒に京都へ行った戦国武将好きの弟が色々説明してくれるのですが、歴史が全然頭に入ってこなかった…
豊国廟の周辺には京都女子大学がありました。
坂を下り東山七条の交差点を渡ると、右に京都国立博物館、左に三十三間堂の建物が見えてきました。
三十三間堂の正式名は蓮華王院(れんげおういん)。
約120メートルの長大なお堂で国宝に指定されています。本堂内は撮影禁止。
本堂に祀られた1,000体を超える千手観音立像が並ぶ様子は、まさに壮観。
その前衛には二十八部衆像と風神・雷神像が配置され荘厳な雰囲気でした。
外観とお庭は撮影OKでした。
日本庭園も見どころのひとつのようで、外国人観光客も多かったです。
豊臣秀吉ゆかりの豊国神社へ向かう道中に、秀吉が建てた大仏殿跡の石垣がありました。
豊臣秀吉を祀った豊国神社。
豊国社は豊臣家滅亡後、家康により取り壊されてしまったのですが、明治13年(1880)に明治天皇の意向によって
旧方広寺大仏殿跡地に再興されました。
秀吉様が鎮座しています。
立派な唐門は伏見城の遺構で国宝です。
これより中に入ることはできませんでした。
せっかくなので豊臣秀吉の遺品が展示されている宝物館も見てきました。
豊国神社の隣にある方広寺は、秀吉が天下統一を果たした後に東大寺の大仏にならって大仏殿の建立を始めたお寺ですが、
豊臣家滅亡のきっかけにもなったお寺として有名です。
それがこの釣鐘に刻まれた「国家安康」「君臣豊楽」の文字。
この文字がけしからんと徳川家康が言いがかりをつけ、大阪冬の陣が起こり豊臣家が滅亡するわけです。
この文字を実際に見ることが出来たのは嬉しかったのですが、豊臣家の運命を変えてしまったことを思うと
悲しみが滲んできます。
言いがかり甚だしい家康め、許さんぞ(怒)!
お次は大谷本廟の中を通り抜けて清水寺へ向かいました。
ぎっしりと墓碑が建ち並ぶ大谷墓地を右に見ながら坂道を登っていきます。
清水寺に着いたら観光客の数が凄かった!
清水寺の入口にある仁王門に設置されている基準点標石。
京都市の市街地図を作成するために明治初期に設置された基準点です。
こんなところに基準点があるなんて知らなかったのでビックリ。おもわずタッチしました。
それでは仁王門脇の階段を上がって清水寺本堂へ。
清水寺は約1200年の歴史を誇る世界遺産。
「清水の舞台」から奥の院を眺めてます。
下を覗き込むと、音羽の滝には行列が出来ていました。
奥の院から見た本堂がこちら。
写真でよく見かける位置を探して清水寺を撮ってみましたが、角度がちょっと微妙かな…
あまりにも人が多くて写真撮るにも一苦労です。
三重塔の存在感も際立ちます。
拝観ルート沿いのヤマツツジも綺麗だった。
子安の塔。名前の通り安産の祈願塔。
子安塔に安産や子の成長を祈願する参拝者が絶えなかったことから、清水寺への参道は安産を意味する「産寧坂」
と呼ばれるようになったそうです。
子安の塔から見る清水寺もいいですね。
本堂を見上げると、清水の舞台を支える格子状に組まれた柱の造りに目を奪われました。
それでは覚悟して大混雑の三年坂へと下っていきまーす。
それにしても恐ろしいほどの人の多さ。全然前に進めないし…
人混みの中、足元の階段を見ながらとにかく前に進むことだけで精一杯でした。
三年坂で転ぶと「3年以内に死ぬ」または「3年寿命が縮まる」との逸話があるらしいですよ。
人の流れが途切れた隙に撮った写真。
「ゆどうふ」と書かれた提灯が京都風情を感じます。
右に折れて二年坂へ。
ヤバくない? この人の多さ!
あまりの混み具合に1軒1軒お店を見て廻る余裕はありませんでしたが、生八ツ橋の試食は最高だった!
着物姿の観光客が多くいました。着物レンタル大繁盛です。
次に向かったのは「高台寺」。北政所ねね様が秀吉を弔うために創建したお寺です。
庭園に咲くしだれ桜。美しい佇まいです。
2024年は、ねね様が亡くなって400年を迎えるということで、400年遠忌を記念したイベントなどが行われていて、
多くの参拝客が訪れていました。
開山堂
開山堂の右手に続くのは臥龍廊
ねね様が眠る霊屋
開山堂や霊屋、観月台などは国の重要文化財です。
庭園の中にある竹林では多くの外国人の方が写真を撮っていました。
台所門をくぐってねねの道へ。
圓徳院はねね様が余生を過ごした場所です。
秀吉との思い出の多い伏見城の化粧御殿と前庭を移築して、余生を過ごされました。
ねね様は毎日、圓徳院から高台寺へ通っていたんだそう。
北書院の庭園を眺めながら、しばし静寂を楽しみました。
圓徳院を見て廻り、外へ出ると、秀吉を天下人に導いた仏像「三面大黒天」が祀られていました。
農家に生まれ、足軽から天下人にまで上り詰めるという、日本一の大出世を果たした豊臣秀吉。
私にもご利益あるのかな…。うーん、写真だけ撮っておきましょ。
最後に高台寺表門を見て、本日の京都旅は終了。
東大路通りを歩いて、豊国廟の駐車場まで戻ったのですが、
東大路通り沿いにあるバス停にはバス待ちの観光客の長い列が出来ていました。
今、京都はオーバーツーリズムによる交通渋滞や混雑、騒音などが問題視されていますよね。
市バスの混雑もそのひとつ。人気観光地の現状を垣間見えたような気がします。
ということで豊臣秀吉ゆかりの場所と世界遺産の清水寺などを見て廻ってきました。
近くまで行きながら見過ごしてしまった史跡はいっぱいあるけれど、それはまたの機会に。
最後に帰りの車の中から東海道新幹線をパシャリ。
京都歴史探訪の旅はこれにておしまいです。